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2015年05月24日

中国山間部で儒教を学ぶ顔回たち

孔子がくれた夢 〜中国・格差に挑む山里の記録〜

先週、ETVで見ました。

北京五輪以後、見直しが進み、習近平国家主席も言及したことで復権が進む儒教。

その儒教を山間部の貧しい農民たちに教え、儒教の教える人材とすることで貧しい暮らしからの脱却を図ろうとエリートコースを捨てて、NGOに身を投じた「石ころ先生」という若者の夢と挫折を追ったドキュメンタリーでした。

冒頭部分を見てすぐに思ったのは、小学生に教えるのはどうなのだろう?ということです。

小学生に教えるほうが暗記もスムーズにできて良いのかも知れませんが、儒教を教える立場になるのはずっと先です。

中学生に上がれるかどうかもわからない状況の子供に儒教を教えることが貧困脱出の鍵になるのか?と思いました。

案の定、すぐにそのことが番組の中で明らかになります。

論語の暗記が得意だった子供が何人も勉強を諦めていました。

ただ、中学生に教えたとしても、儒教を教える場がきちんと中国の国内に出来上がっていない限りは、儒教教育の担い手にはやはりなれません。

子どもたちを連れて、大きな都市の博物館を見学しに行った時、事前の資料にあった入口前の孔子の像が無くなっていました。

子供が係員に孔子の像はどこへ行ったのかと数人に尋ねるとようやくそれが中庭にあることを教えられます。

儒教復権の兆しは見えていながらも、「儒教(を含めた、共産主義と相容れない思想。特に現在の中国ができる以前の思想全般)を批判した、これまで共産党が取ってきた施策が間違っていたことを認めることになる」という考えも根強いようです。

また、像が出来た当時はまだ習近平氏も儒教復権を明言していなかったのでしょう。

結局、格子像は一部国民の反対の声にあって、博物館正面から中庭に移されていたのでした。

また孔子学院を尋ねた時、石ころ先生は同じ儒教を学ぶのでも、学院の生徒と自分が教えている山間部の子どもたちとでは環境の格差があまりにも大きいことを実感します。

彼はNGOの活動を通じて、現代の儒教研究の第一人者や大学教授達などに、その現状をどう打開すれば良いのかと訪ねて回ります。

しかし、役に立つ答えは返ってきませんでした。

かつての教え子が進学を諦めていく様を見ると同時に、自分も社会から取り残されていて、身を固めて親孝行をしたいがそれがかなわない現状にも直面した石ころ先生は考えた末、NGOを止め、知人と商売を始めることにします。

儒教を教える塾のようなところに漢服という昔の服装を模した制服を販売するというものです。

その事業で食べていけるようになったら、また子どもたちに儒教を通じた支援がしたいと彼は語ります。

その決心の後、ある中学校を訪ねます。

そこにはかつての教え子のうち、無事、進学することができた子どもたちが通っています。

彼らは多くが成績上位者として讃えられるほど優秀で、将来を期待されていたのです。

石ころ先生は彼らに会い、彼らにしばらくのお別れを告げます。

子どもたちからお返しの書をもらって、番組を終わりました。


中国の都会と地方の格差は日本とは比べ物になりませんね。

日本は商品やサービス価値が大体同じなので、そこで生活をしようとすると収入格差が響いてくるわけで、それはそれで苦しいわけです。

しかし、中国のようなところの格差はそもそも生活水準からものの値段まで違っています。

日本でも以前あったように、町に出て働くと田舎の家族を食べさせることが出来、その上で支出を切り詰めてお金を貯めると、10数年後には田舎で家を建てたり商売を始められるという具合です。

それはそれで良いのかも知れませんが、結局、自分の生まれた場所やその近くには仕事がなく食べていけないのです。

儒教はその状況を変えることができるのでしょうか?

工場の労働者となるのも儒教の教師になるのも結局は、生まれ故郷以外の場所で働くことに変わりありません。

石ころ先生の理想は貧困脱出ですから、儒教の教師の収入が高いのであれば成功でしょう。

でも、それでは村の貧困具合はさほど変わらないでしょう。


山間部の村の子供達に儒教を教えたのは、ちょっと罪深いようにも思います。

儒教の教師になれるという夢を見せて、それが出来なかったので「かえって悪いことをしてしまった」というようなことを石ころ先生は言っていました。

しかし、それだけでは無いでしょう。

儒教を学べば学ぶほど、それがちっとも成り立っていない世の中の矛盾が目につくようになります。

儒教が説く理想の世の中がちっとも見えてこない世の中では、理想など知らないほうが苦しむことがなくて良かったのではないでしょうか?

知らなければ、世の中の理不尽に気づくことはないのです。

そもそも孔子自身が世の中の不正を正そうとして何度も挫折し、仕官先を求めて各地を放浪したわけですから。

また、ちょっとソースを見つけられませんでしたが、「異民族には異民族の法がある。振り返って自分たちの国を見ると法がまともに行われていない」というようなことを言って嘆いたこともあったと思います。

儒教の優れた教えの誕生は、その当時や現代に続くまで、儒教で説かれている教えが行われていないことの裏返しなのでしょう。

儒教を教えることは苦しみの種を子どもたちに植えつけただけだったようにも思えました。

山間部の子どもたちがその生活の中で、矛盾なく実践出来そうな、論語の教えは次のものだろうなと思いました。

一箪の食、一瓢の飲:原文・書き下し文・意味 - Web漢文大系

子曰いわく、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在あり。人は其の憂いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。


個人的な訳としては下の通りです。雰囲気ですので正しいとは言えないでしょう。

正しい訳は上のリンクや、検索して調べてみるといいと思います。

孔子は言いました。賢いぞ回(顔回という孔子の弟子の名前)。一杯のご飯に一杯の飲み物で一日過ごし、決して裕福とは言えない人たちが暮らしている地域に住んでいる。殆どの人はその暮らしがいつまで続くのだろうという心配に耐えられないだろうが、顔回はそのことを楽しんでいて止める気がないようだ。賢いね回は。

山間部の子どもたちは、皆、現代に生きる顔回とならなければ矛盾なく儒教の教えに沿った生き方など出来ないでしょう。

逆に都会でスマートに生きている儒教研究者たちは儒教を実践しているとは言えないのでしょう。

そういう意味では石ころ先生は儒教を実践している人でした。

田舎出身で大学まで進み弁護士の資格も取り、都会で高い社会的な地位を得られたでしょうが、それを捨てて儒教教育に身を投じたのですから。

石ころ先生と彼に教えられた子どもたち、それぞれ今よりも幸せになってくれればいいと思いました。






posted by まっさん at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月05日

ドラマの高齢化は異常か?

シルバー民主主義と言われるくらい政治から経済に至るまで60歳以降の人達の意見や好みが優先、反映される社会であると言われます。

ドラマでも連続ドラマはまだのようですが二時間ドラマでは既に団塊の世代が主人公で彼や彼女を取り巻く登場人物の面々の年齢層も高い作品が増えているのでは無いでしょうか?

それをちょっとした問題だとする意見もあるでしょう。

今、BSのDlifeで「ジェシカおばさんの事件簿」というドラマが放送されています。

PCやスマホでネット配信もされていて誰でも見る事ができます。

Wikipediaによると1984年放送だそうです。

見た目よりも若い可能性もありますが、元教師が老後の暇潰しに推理小説を書いたら大ヒットで売れっ子作家になる、という設定を考えると主人公は70才前後ではないかと思います。

当然、友人関係の年齢層も高く、若い人は町の住民とか友人の子供などになります。

最終回近くの「渡る世間は鬼ばかり」の面々で新しくドラマを作ったようなものです。

それを1984年にアメリカでは行っていたわけです。

考えてみると、何度もリメイクされているミスマープル、マープルおばさんシリーズも当然、登場人物の年齢層は高めですね。

日本の今のドラマは高齢者向けでそれが何か異常であるかのような問題提起はあたらないようです。
posted by まっさん at 20:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月24日

ビッグデータ法案で個人情報は守られるか?

先程、報道ステーションでビッグデータの活用法案について取り上げていました。

個人を特定できないように加工すれば、個人の行動、購買、嗜好(指向)に関わる情報を第三者に提供することをできるようにする法案だそうです。

マクアードル川上氏は、個人は特定できないようになっているから安心ということを言っていましたが本当でしょうか?

これまで言われている通り、ある個人を表す番号に幾らかの情報がひも付けされているのが提供されるデータになるのでしょう。

それが別の第三者に提供される。金銭と引き換えにそのデータをもらう、つまり、買うということもあるでしょうが、その第三者が持っているデータと交換という形で提供する場合もあるでしょう。

そうすると当然、データの精度を高めるために提供されたデータと持っているデータの突き合わせをするはずです。

それを複数の組織と複数回組み合わせると、段々と情報が紐付けられたその番号に個人の片鱗が浮き上がってくるだろうと思います。


また、将来、起こりうる可能性として、建前上、独立した営利か非営利の団体としてある組織ができ、そこへ多くの企業がビッグデータを提供します。

その団体は、上で説明したようなことをして、かなり完成されたデータを作り上げます。

そしてその団体が個人情報の一部を隠しているとは言え、かなりの情報が紐付けられたデータを、もともとデータを提供してくれた企業へ提供するとどうなるでしょう。

さらに、個人情報がわからないような加工というのが、ある企業は住所、氏名は隠すが年齢、性別は隠さない、別の企業はその逆、または同じ企業がそのように組み合わせを変えて複数データを提供するとしたらどうなるでしょう?

そして、そのようにされたデータを、企業が諜し合わせて作ったデータを一元管理する団体へ提供されたらどうなるでしょう?

形式上独立しているだけで、国の事業と密接に関わっていて個人情報を一時期にたくさん集めた団体としては「B-CASカード」を管理する株式会社ビーエス・コンディショナルアクセスシステムズがここ数年では有名なところでしょう。

もし、そのようなところが前述のようなことに関われば、個人情報の匿名化の加工というのはほとんど無意味になるかも知れません。


そもそも、前提として、今現在ですら、個人は個人情報を自己防衛できていないのです。

この店はよく利用するし、他よりも信用できるから個人情報に関する規約に同意して会員登録をする。

こちらの店はほとんど利用しないし、以前に流出事件を起こしているから会員にならないという形で、私達個人は自己防衛していると思います。

それ以上の自己防衛などほぼ不可能でしょう。

しかし、その防衛術は企業の論理で無意味にされてしまいます。

イーバンクは楽天に買収されて楽天銀行に、セシールがライブドアの傘下になり、Yahoo!ポイントはTポイントと統合されてしまいました。

個人の防衛が十分にできていないということをまず前提にして考えなくてはいけません。

企業買収、経営統合、ポイント統合の際に、会員にその了解を取るということもされていないし、それが良いかどうかの議論すらしていません。

ビッグデータの提供はそういった状況で行われるということを知っておく必要があると思います。


心配しすぎだという人は、NSAの個人情報流出を暴露したスノーデン氏と当時コンタクトを取っていた数少ないジャーナリストの一人グレン・グリーンウォルド氏が書いた『暴露:スノーデンが私に託したファイル』を読んでほしいと思います。



スノーデン氏は暴露に当たって、あることを非常に恐れていたそうです。

自分が批判されること、国から犯罪者として追われることは既に覚悟していました。

家族に迷惑がかかることは気がかりでしたがそのことでもありません。


彼が最も恐れていたことは、NSAが個人情報を違法に収集していたことを暴露しても、アメリカ国民のほとんどがそのことの重大さを理解せず、「国家や警察機関、治安組織が安全のためにそのくらいするのは当たり前」「そんなに知られて困ることなんてあるか?」などと考えて無関心に過ぎることでした。

現実にはそのようなことにはならず、全世界を巻き込んだ大問題になりました。

安全ということを理由に個人情報を無制限に集め、しかも、それついての管理はとても杜撰。

場合によっては、個人的興味によって個人のプライバシーを侵害することが行われていたのです。


NSA職員、一般人のヌード写真などを日常的に回覧


日本でもビッグデータ活用のルールによってはこれに似た事態が起こらないとも限りません。

特殊詐欺、ストーカー被害、商品購入の強要、病歴の暴露などなどは今でも起こりうることです。

10月にはマイナンバー制度が始まります。

ビッグデータの活用が広がるほどこういった危険は高まりますが、よくあることですが、広まれば広まるほどどの要素(ここでいえばどこの情報)がその騒動・事件の直接的原因になったのかわからなくなり、誰も責任を取らないということになるのでしょう。

メディアはこういったこともきちんと伝えてほしいと思います。
posted by まっさん at 00:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

NHK時論・公論でアイスランドの地熱発電を紹介。これは環境破壊では?



地熱発電の先進国の1つであるアイスランドを紹介して、日本でもできることがないかを考える番組でした。

しかし、地熱発電所が熱水をそのまま垂れ流し、それが世界最大の露天風呂になって雇用が増えたとか、熱水に含まれる泥が肌に良い(当然、その露天風呂にも泥が堆積している)ので化粧品として売ることで特産品ができた、というのは真似をしてもいいものでしょうか?

人間にとって都合のいいものがそれ以前になかったからと言っても、そこには何らかの生態系があったはずで、熱水や泥でその環境を変えてしまったらそれは環境破壊以外の何物でもないのでは無いのではないでしょうか?

番組でもそれは理解していて、温水をきちんとパイプで運び、隔離された状態で風呂として施設で利用するとか、同じくパイプで衣類を乾燥する部屋や居住空間の暖房として利用する方法が日本でもすでに行われていることを紹介していました。

それらもすでに温泉や温泉が一般家庭でも使われている地域であって、熱水がある程度まで温度が下がれば排水できる地域でのことです。

それまでそうではなかった地域で熱水や温度が下がっても温水が垂れ流されるようであれば、それが環境へ及ぼす影響は小さくないはずです。

使われた熱水は再び地下へ戻す試みが行われている今の日本のやり方は正しいと思います。

そういった部分についてきちんと説明せず、わかりやすい構図での再生エネルギーの明るい未来を語るのはちょっと問題ではないでしょうか?

最近、NHKで気になるのは、右によったとかいうことよりも、いろんな問題を単純化して語りすぎるところです。

わかりやすい善悪を語ろうとすれば、わかりやすい結論を作ろうとしますし、わかりやすい絵(テレビのシーン)を作ろうともするでしょう。

今、問題になっている出家詐欺のやらせ問題の背景にこういったことが関係しているのかも知れません。

posted by まっさん at 01:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ティク・ナット・ハンとマインドフルネス

NHK Eテレ『こころの時代』を見た。

以前は見ていたのだが、この数年ほとんど見なくなっていた。

シリーズ禅僧というの特集が始まっているそうだ。

以前は1年を通して仏教やキリスト教などの経典、福音書の1つを読み解いていくものだったと思うが、少し前にその1つのシリーズが半年という期間に縮まり、今度はこういったシリーズになったのだと思う。

ティク・ナット・ハンという僧侶を今まで知らなかった。

前半を見逃してしまって後半しか見ていない。

ベトナムの僧なのだそうなのだが、ベトナム戦争反戦運動やキング牧師の黒人差別反対運動の頃からアメリカで活動しているらしい。

最近では、マインドフルネスをキーワードに、Googleなどの大企業が彼を読んで講演会のようなものを催しているらしい。

マインドフルネスという考えは誰が広めたのだろうか?

「今、ここ」ということを意識することと訳されている。

つまり、

今、ここに生きている。

今、ここで息を吸っている(あるいは吐いている)。

今、右足(あるいは左足)を前に出している(歩いている時)

などなどに常に意識を向けて、注意しつづけ、それで心をいっぱいにしてみるということなのだろうと思う。

人間は1度に一つのことしか集中して、ものを考えられないため、そういった一つ一つの普段は意識せずにできる動作に注意を向けることで、苦しみや悲しみといった悪感情を感じられないようにするということだと理解している。

ティク・ナット・ハンは「気づきの鐘」という言葉も使っているらしい。

マインドフルネス・ベルの訳なようだが、「気づき」というと以前はアウェアネスAwarenessという言葉を使っていたように思う。

そのほうが気がつくことの直訳だし、これも以前は心の問題への対処法として挙げられていたと思う。

ただ、アウェアネスというのはどちらかというと、これまで当たり前と思われていたことがそうではないのだ、ということに気がつくといったような、どちらかというと或る種の発見に近い意味合いがあったかも知れない。

ティク・ナット・ハンによると、悪感情にすら意味があるとのことで、孤独であればその孤独を抱きしめ、味わうことも時には必要らしい。

しかし、それだけになってしまうと、それで心がいっぱいになってしまう。

そもそも、苦しんでいる人はそういった状態になっているのだから。

火がつく条件が整うと、最後の一押しとなるきっかけで火がつく。

燃えやすい材料を自ら集めてきてしまってはいけない。

火そのものがどこかから来るのではなく、火がつく条件を自ら整えてしまっているのだ、と彼は言う。

呼吸に意識を向け、歩みに注意し、食事中は一口一口に集中する。

さらに、食事の時には食べながら、食事をともに出来ない人、その日の食事にもありつけない人、既にこの世になく食べられない人のことなどを思いながら、彼らのために食べるということを意識し、実感するらしい。

そうすることで、自己と他、生と死の区別の無い真実の世界、悟りを垣間見ることができるということだろう。

ティク・ナット・ハンは、日本で「母の日」に、母が生きている場合は赤いカーネーション、死んでいる場合は白いカーネーションを送るという習慣を知り、アメリカやフランスなどで母に思いを馳せるイベントを定期的に行うようになったらしい。

当然のことながら、母の日は欧米の習慣だ。

赤い花、白い花を送るのが日本的なのだろうか?

とにかく、彼自身、日本でその習慣を知り、同じように母の墓に白い花を捧げて祈った所、母が自らの体や心の中に生きているということが実感できたのだという。

自分の体の中に、他人、親、生きている人、死んでいる人が区別なく生きていることが実感できるということも、高度なマインドフルネスなのだろう。

実践するのは大変そうだ。

でも、少しずつ始めてみるのもいいかも知れない。

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posted by まっさん at 00:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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